GROWseeds代表挨拶: 教育と支援の思い
GROWseeds代表ごあいさつ
こんにちは。GROWseeds代表の平井智子(さとこ)、「とこ先生」です。
私は、子どもの育ちに寄り添うことをずっと大切にしてきました。自己紹介をさせてください。
幼稚園教諭としてスタートした私の教育人生は、さまざまな転機と迷い、そして再出発の連続でした。
【1】「どうして教師という道を選んだのか」
きっかけは、ジュニアリーダーと呼ばれる子ども会活動から。転校して、友達が少なかった私が転校先で出会えた活動でした。その後、中学生・高校生では、全国大会にも参加して、子どもの前で一緒に遊んであげる活動を続けてきました。
そして、子どもと関わる仕事を選ぶことは私にとって自然なことでした。当時から、女性が安定して働くには小学校教師だと思って目指したのでした。
子どもと関わることが楽しくて仕方なかった幼稚園勤務。
社会人としてのスタートは保育現場。夢中で子どもたちに向き合う一方で、知識も経験もまだまだ足りず、目の前の困りごとにどうすればいいのかわからないまま、とにかく走っていたように思います。
その後、小学校の教員採用試験に挑戦することになりました。
でも当時(1990年代後半)は、教員採用試験は倍率10倍以上(例:1998年東京都:12.9倍)の狭き門。合格は本当に難しく、私は何度も非常勤・臨時任用として現場に立ち続けました。
ようやく掴んだ教員採用。けれど、私は幼稚園教諭経験があるからと初任者研修もないまま突然「正規教諭」として配属されました。非常勤等で働いていた人も初任研があったにも関わらず、私だけ同期もおらず、支援なく子どもたちの前に立つ毎日は、まさに全身全霊でのチャレンジでした。
【2】学びを止めず、支援教育の現場へ
結婚を機に一度は退職しましたが、違う県の新たな土地でまた教員試験に挑み、正規教員として再出発しました。
家庭を支えながら、私はあきらめずに学び続けました。
- 校務分掌で図書担当になり放送大学で司書教諭の免許を取得
- 特別支援学級の担任として、多様な子どもたちと向き合う日々
- しっかり学びたく特別支援教育教諭の免許も学んで取得
特別支援教育に興味をもったのは、私の伯父が軽度知的障害をもっていたからかもしれません。
祖母がいつも「養護学校に入れる決断がよかった。社会で働きながら、毎日のリズムをつくることができた。」と話していたことが、今の私の支援観につながっています。
【3】病と家庭、人生の転機
8年前、夫が突然大きな病に倒れました。
医師からは、「覚悟してください」と告げられました。
当時はまだ二人だった子どもを抱え、命と向き合い、家族と過ごす時間の大切さをあらためて深く考えるきっかけとなりました。
「シングルマザーになるかもしれない」――その現実を前に、私は『公務員の教師の仕事は辞められない』と、当時は腹をくくったのです。
その後、3人目の妊娠がわかり、家族を増やすという選択にも大きく悩みました。
結果として5人家族になる覚悟を決め、高齢出産を迎えることになりました。
その出産も決して平坦ではなく、救急車で運ばれ、急遽大学病院での出産になるなど、嵐のような出来事が続きました。
それでも時は流れ、夫は病に立ち向かい、子どもたちも少しずつ成長していきました。
ちょうどその頃から、私の仕事でも責任がますます重くなっていきました。
特別支援学級の担任として、難しいケースを任されることも増え、支援が必要な子どもたちに向き合う毎日。特別支援コーディネーターとしての仕事も加わり、一人一人に合う授業準備、交流級との連携・ケース会議・保護者対応・支援調整…と時間に追われる日々でした。
辞める直前には、平日は夜9時を過ぎても学校に残ることが当たり前となり、土日も出勤するような生活に。
それでも私は、自分の仕事を「ライスワーク」ではなく「ライフワーク」だと感じ、やりがいを持って取り組んでいました。少し疲れがあっても、『教師の働き方はこんなものだ。土日に出勤しても必ずもっと働いている同僚がいる。』そんな風に思っていたのです。
けれど、心身は静かに限界を迎えていたのかもしれません。
ある日、病院の先生からこう告げられました。
「あなたが倒れる前に、立ち止まりましょう。」
そのとき、私は泣くこともできなくなっていました。涙が出てこない・・・。
「休職しても、変わりは来ない。」ただでさえきつい教育現場・・・。ひとり休んでいる先生がいて、職員室はマイナス1の人員で回している今でした。私が休み、休んだ分をみんなが支えているってわかりつつ、私は療養できるだろうか。
『絶対できない』が私の答えでした。
退職であれば、必ず人員配置は休職より優先してあるはず。
そして決めては「やめてもいいよ。何が大切か、考えなよ。」と。声をかけてくれたのは、ほかでもない――夫でした。場合によってはこの時の流れの中にいなかったかもしれない、命についてすごく向き合った夫の言葉。私は「家族と人生」を大切にすることに決めました。
動悸やめまい、何とも言えないいろいろな症状があるときに、薬を飲みながら、それでも立ち続けた最後の1年。3月末までやりきることができたのは、家族の支えがあったからこそです。
【4】GROWseedsに込めた想い
私がGROWseedsを立ち上げたのは、「がんばっている誰か」が、がんばりすぎなくていい場所をつくりたかったからです。
子どもと向き合う保護者。支援に奮闘する先生方。みんな、本当に精一杯よくやってる。
でも、ときどき、「わからない」「しんどい」「助けて」が言えない。
そんなときに、そっと立ち寄れる場所でありたい。
GROWseedsという名前には、「知・芽・咲」という想いを込めました。
- 知(ち):気づくことで、道がひらける。知識や情報を正しく持つ力を伝えたい。
- 芽(め):芽が出る環境はそれぞれのタネによって違う。
それぞれの違いや個性が、未来への芽になる - 咲 :微笑む。肩の力を抜く。保護者も支援者も、そして子どもも
(さく) 笑顔が咲く人生を歩んでほしい
そんな願いを、すべての活動の真ん中に置いています。
【5】これから出会うあなたへ
もし、子育て・教育・発達に迷ったとき。
どう関わればいいのか、誰に相談したらいいのかわからないとき。
どうぞ、GROWseedsに来てみてください。
- 保護者や支援者の方には、LINEからお気軽にご相談いただけます。
- 教育機関・行政関係の方は、お問い合わせフォームからご連絡ください。
私は、「対話」と「気づき」から、人生が大きく変わる瞬間を信じています。
ここが、あなたにとっての「立ち寄れる場所」になりますように。